抜海の地名の由来−抜海岩の伝説

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抜海(ばっかい)という地名はいかにも北海道らしい難読地名の一つだ。こういった難しい読み方の地名は、だいたいアイヌ語由来である。抜海にも、アイヌの伝説が残されているので紹介します。

目次

アイヌ語の「バッカイ・シュマ」が由来

抜海という地名の由来は、抜海岩という大きな岩にまつわる伝説が関係しているそうです。「バッカイ・シュマ」=子供を背負った岩という意味だそう。

バッカイ・シュマ

大岩が小岩を背負うように見えるところから、そのような名前がついたとか。

アイヌの伝説は次のように語られている。

宗谷アイヌが天塩アイヌと戦った際に、礼文アイヌに応援を求めた事がございました。

戦い終わって礼文アイヌが島へ帰ることになりましたが、どうしたことかシケがつづき、長い間この地で足止めされてしまいました。その間に、礼文アイヌの若者「ワカルパ」がコタン(集落)一の美女「モナシノウク」と恋仲となり、やがて子供が産まれてこの地にのこったのです。しかし若者ははるか洋上に見える島影に望郷の念止みがたく、ある日こっそり島へ帰ってしまいました。これを知ったモナシノウクは、子供を背負って丘に登り、波のうねりに向かって若者の名を呼び続けました。雨の日も風の日も、痩せ衰えた母と子の姿が丘から消えることはありません。

ある日、コタンの人が丘を見上げますと、いつものモナシノウクの姿がありませんでした。かわりに、子供を背負った人の形をした大きな岩がそこにあったということです。

わたしがガイド−稚内観光協会より

以上が抜海岩の伝説として語られている物語である。しかしこのテの伝説は、後から考えられたものもあるので、実際にワカルパという女の敵がいたかどうかは定かではない。

とにかく疑問が残る。

別にモナシノウクを礼文島に連れて帰ればよかったのでは?とか、ちょっと里帰りすることもできなかったのか?

あるいは礼文島にはレッキとした妻も子もいて、浮気心だったのか?

などと、伝説に対してツッコミを入れても仕方ないが、どうも気になるところだ。

あと一つだけ。

どう頑張っても「子供を背負った親の形」には見えないのだが…。これは風雪が岩を削り取ったことにしておこう。

抜海岩は稚内市の指定文化財

抜海岩と呼んでいるが正確には「史跡 抜海岩陰遺跡」なのだそう。

1963年に稚内市教育委員会を主体とした発掘調査が実施されており、遺跡からは続縄文、オホーツク、擦文文化期の土器などの資料が出土しています。



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