コーヒーを飲んで生き延びろ⁉︎ コーヒー豆の碑(稚内)

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 稚内の宗谷岬近くには、コーヒー豆の形をした記念碑があります。コーヒー好きの方は、ぜひ見に来てください。コーヒーにまつわる、悲しい藩士たちに思いを馳せて…。

津軽藩兵詰合の記念碑

目次

対ロシア警備のために藩士が派遣される

 北海道に住んでいるのは、アイヌの人々がほとんどでしたが、大きな変化が訪れたのは18世紀後半のことです。開拓計画が持ち上がり、様々な調査が行われました。アイヌの人々の暮らしや、気候の調査「寒気試み(寒さ調べ)」などが行われました。

1807(文化4)年、ついに北海道は江戸幕府の直轄地となります。その頃から、樺太より南下してくるロシアの勢力に対抗するため、諸国の藩士たちが警備を任されることとなりました。最初は、東北地方は寒さに強いだろう、という理由で津軽・会津藩から派遣されました。

 しかし、本州の寒さよりも厳しく、野菜も育たない土地ということから、寒さと野菜不足のために「水腫病(すいしゅびょう)」にかかり、多くの死者が出ました。冬は警備どころではなかったということですね…。

※水腫病は、身体の組織の間に、リンパ液などが多量にたまった状態になる。アイヌの人々はほとんどかからなかったので、北の生活に不慣れだった移住者特有の病だった。

今も残る藩士たちの墓(宗谷)

それ以降、北海道への派遣が決まった藩士は、まさしく死出の旅と嘆いたということです。出発の前の日は家族と涙の別れが…。

たんぽぽや 会津藩士の墓はここ の句が刻まれている

お薬としてコーヒー豆が配給される

一旦は、北海道への藩士の派遣も打ち切りとなりました。しかし、1854(安政元)年日米和親条約が締結され、樺太をめぐる日露の争いが激しくなり、1855(安政2)年、再び北海道に藩士が派遣されることとなります。

 この頃には、ストーブや、ブランケットなどによる寒さ対策が講じられたと記録されています。その対策の一つが、なんとコーヒー豆の配給だったのです!

 コーヒーには、水腫病に対しての薬効があるということを、1803(享和3)年に蘭学医の廣川解(ひろかわ・かい)が発見したそうです。コーヒーに含まれる、水溶性ビタミンB複合体のニコチン酸が水腫病に効果があるとのことです。

「和蘭コーヒー豆、寒気をふせぎ湿邪を払う。黒くなるまでよく煎り、細かくたらりとなるまでつき砕き 二さじ程を麻の袋に入れ、熱い湯で番茶のような色にふり出し、土瓶に入れて置き、冷めたようならよく温め、砂糖を入れて用いるべし」と記録されています。

 飲み方は現代とほとんど同じですが、当時は「薬」だったので、ありがたみは全く違ったことになります。当時の人たちも、現代人がコーヒーをガブガブ飲んでいるのを知ったらビックリするでしょうね。

コーヒーはありがたかった

 このコーヒー豆の形をした記念碑は、正確には「津軽藩兵詰合の記念碑」です。コーヒーを飲むことができずに亡くなっていった藩士達を悼み、薬としてコーヒーを大切に飲んだ先人たちに思いを馳せることができるように…。津軽藩士の故郷である弘前市の有志が中心となり建立、1992(平成4)年に除幕されました。

 志半ばで、北の地に果てた人々への想いが詰まったコーヒー豆の記念碑なのですね。

今回の記事は稚内市観光協会発行の「わたしがガイド」を参考に作成しました。ありがとうございました。

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