利尻島と繋がっている−竜神沼(稚内)
Sponsored Link
稚内坂ノ下にある竜神沼は、あまり人の気配が感じられない寂しい場所だ。竜神沼には2つの伝説がある。なんと、お隣の利尻島の「姫沼」と繋がっているというのだ!
目次
竜神沼は、坂ノ下神社にある
坂ノ下神社入口は、道路に面しており、そこからは階段が続く。崖の上に神社と沼があるという感じだ。
時折、野草が可愛らしく咲いているので、休み休み登っていこう。
竜神沼の伝説
階段を登ると、神社と沼が見えるが、人気が全くない。いつ来ても寂しい場所という感じだ。
この竜神沼には、2つの伝説がある。
伝説その1
その昔、このあたりに住んでいた材木屋が、伐り出した材木を竜神沼に浮かべておいたところ、数日後には消え失せてしまった。すると、お隣の利尻島の姫沼にたくさんの材木が浮かんでいることがわかり、竜神沼の底は姫沼に繋がっていると語られることになった。
誰かが竜神沼の材木をかっぱらったんじゃないの?(笑)
伝説その2
ニシン漁が盛んだった明治の終わり頃、ニシンの番屋をまわっては、酒などをご馳走になる老人がいた。ニシンの季節になると、どこからともなく現れて、漁場から漁場をまわって歩いた。漁場の人たちは、「大漁の神様」ともてなしていたが、ろくなもてなしをしなかったときは、不思議と不漁だった。この老人は、竜神沼の主であり、竜神様の使いだったと、語り継がれている。
竜神沼は軍旗奉焼の地でもある
終戦を迎えた日本では、軍旗を敵の手に委ねることは最大の恥辱であるとされた。そのため、終戦の詔勅とともに、軍旗は奉焼することとなった。
稚内には、3つの軍旗が存在し、その中でも歩兵第158連隊は「8月26日僅かに利尻富士の頂が見える朝、竜神沼に細く悲しく鳴り響くラッパの音。全員捧げ銃の中、旗手の捧持する軍旗に火を点じた。残った竿頭の菊のご紋は、底知れぬ沼の中央部へ…」
1969(昭和44)年、8月26日、当時指揮を取った菅野中隊長が当地を訪れ、軍旗奉焼の神事を行い、その跡地に木柱を建てました。その後、1979(昭和54)年、有志により現在の石碑に建て替えられた。
沼のまわりをよくよく見ると、昔は歩けたであろう、道の跡が残されている。
こんなふうに利尻山が見えたのだろうか…。当時の人たちの目に、利尻山はどう映ったことだろう…。
今回の記事作成にあたっては、稚内市観光協会発行の「わたしがガイド」を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
Sponsored Link