1万年前から人がいた⁈−豊岩遺跡群(稚内)
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稚内では、いくつかの遺跡が発掘されている。中には、縄文時代の土器や石器が発見されている場所もある。宗谷岬付近の豊岩地区は、なんと1万年前の人々の足跡が確認されているというのだ。
豊岩遺跡群は1万年前からの遺跡を含んでいる!
宗谷岬から、オホーツク海側を車で5分ほど走っていくと、豊岩地区に入る。そのあたりは、縄文時代から人々が生活していたことを物語る遺跡がいくつも発見されている。「豊岩遺跡群」である。稚内市教育委員会設置の看板によると次のように記されている。
豊岩遺跡群は、日本最北端の宗谷岬からオホーツク海沿いの南方約3.5㎞に所在しています。この付近では10ヶ所の遺跡が確認されており、縄文時代から擦文文化期といった長い期間にわたって、これらの遺跡が営まれていたことが明かになっています。
1985(昭和60)年には、稚内市教育委員会が主体となり、上知志矢川河口部に位置する豊岩5遺跡と、上知志矢川流の豊岩7遺跡の発掘調査が実施されています。豊岩5遺跡の発掘調査からは縄文時代早期(約10,000〜7,000年前)および中期(約5,000〜4,000年前)の土器や石器が、焼土を中心として出土しており、キャンプサイト的な小規模な遺跡であったと考えられています。
豊岩7遺跡からは、縄文、続縄文、擦文、オホーツク式土器といった4つの時代の土器が出土しています。特にオホーツク文化期(約1,600〜1,200年前)においては、同文化期の魚骨ブロックや焼土が確認されているほか、土器と共に骨角器、玉類が出土しています。
稚内市教育委員会
宗谷の歴史は、仙台藩、秋田藩などが警備にあたった1855(安政2)年ごろからクローズアップされることが多い。この頃は、寒さと栄養不足で多数の死者が出たことが報告されている。
しかしそれよりもはるか1万年前の豊岩遺跡は、人々の生活の息吹を我々に伝えている。
観光客は、宗谷岬の冬のあまりの寒さに、
「こんな所住む所じゃねえ!」
などと叫んでいるが、結構前から人はいたことになる…。
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