函館カール・レイモン

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カールレイモンミニサラミ

目次

カール・レイモンミニサラミ

函館に行ったときには、必ずと行っていいほどこれを買う。カール・レイモンで一番有名なのは、ハムやソーセージである。しかしながら、サラミもまた格別だ。常温での保存も可能で、旅人も安心である。

見た目は普通のサラミだが、口に入れるとジューシーさを感じる。かつてカール・レイモンはこう言った。

私のハムはね、肉の細胞を一時的に眠らすだけ。人間の胃に入るとすぐ細胞はよみがえるのです。

この言葉がまさにピッタリだ。

今までうまいと思えるサラミに出会ったことがなかった。値段が高すぎる上にマズいときている。サラミを買う気もおこらなくなった。

そんなとき、函館で出会ったのが、カールレイモンの商品だった。

簡易包装バージョンは直営店のみの販売

カール・レイモンという人物

カール・レイモンの胸像

カール・レイモンは、1897(明治27)年、カルルスバード(現在のチェコ領カルロビバリ)に代々続く食肉加工技師の子として生まれた。8歳の頃より父の仕事を覚える。ヨーロッパ各地で食肉加工の技術を学んだ後、1915(大正4)年、世界最大の食肉加工会社であったアメリカのアーマ社へノルウェーの会社より派遣される。

日本にやってきたのは1919(大正8)年のことだった。帰国途中に観光のために立ち寄り、のちの妻となる「コウ」さんと出会う。燃えるような二人の恋は周囲からの猛反対にあうが、二人は中国に駆け落ちした。そして結婚。

このことをカール・レイモンは次のように語っている。

人間は誰でも、一生に一度はロマンスがあります。奥さんと私も大ロマンスでした。神様が私たちを引き合わせて結婚することを決定されたのです。運命ですよ。

言ってみたいものですな。このような言葉を(^^;;

一時帰国した後、1924(大正13)年、再び函館へ。

当時はハムやソーセージの需要が限られていたため、全国の一流ホテルを対象として、ドイツ伝統のハム・ソーセージを作り続ける。その後、太平洋戦争中に工場を強制的に買収されるがくじけず、函館にとどまり続けた。1948(昭和23)年函館元町で製造を再開。

カール・レイモンは日本、そして函館を愛していたようだ。

函館は素晴らしい街ですよ。明治維新では戦場になりましたが、私は新しいゆりかごの地だと思っています。

1983(昭和58)年、高齢のため惜しまれながら現役を退き、弟子の作る製品を金曜日ごとに検査する毎日を過ごした。1787(昭和62)年、本物の味づくりに情熱をかたむけたその生涯を終える。

ドイツ伝統の製法と、カール・レイモンの志は、「株式会社函館カール・レイモン」として今も受け継がれている。

私がずーっと心がげてきたことは、ただまじめに働くことですよ。そして、私の作ったハムやソーセージを喜んで食べてくれる人が一人でも増えるのですからね。これはお金では買えないものね。だから私は、胃袋の宣教師だと思っているんですよ。

働く全ての人に、彼の言葉はジーンとくる。ソーセージやハム、サラミの味をかみしめたら、きっとその美味しさは裏打ちされている。だからこそ、その歴史を紡いできたのだろう。

函館で買える場所

レイモンハウス元町

函館カールレイモン本社工場

函館駅売店

丸井今井函館店

その他買える場所

大丸 札幌店

新千歳空港各売店

インターネット販売もしている。

レイモンハウス元町店

レイモンハウス元町店では、ホットドッグなど軽食の販売もしている。建物二階は「カール・レイモン歴史展示館」となっているので、要必見だ。

この記事の作成にあたっては「カール・レイモン歴史展示館」の展示を参考にさせていただきました。

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